「倚りかからず」(茨木のり子)

背筋をピンと伸ばして生きて行きましょう

「倚りかからず」(茨木のり子)
 ちくま文庫

「苦しみの日々
 哀しみの日々
 それはひとを少しは
 深くするだろう
 わずか五ミリぐらいでは
 あろうけれど」
 (苦しみの日々 哀しみの日々)

心が折れそうになったとき、
いつも手にとって読んでいる一冊です。
優しく背中を押してくれるような
詩集ではありません。
横っ面を激しくビンタするような
作品ばかりです。

「車がない
 ワープロがない
 ビデオデッキがない
 ファックスがない
 パソコン インターネット
 見たことない
 けれど格別支障もない
 そんなに情報集めてどうするの
 そんなに急いで何をするの
 頭はからっぽのまま」
 (時代おくれ)

情報化時代の中であくせくして
自分を見失いがちのときに
読み返したい一篇です。
情報に精通している気になっていても
自分の頭や心の中には
何も蓄えられていないことに
いつも気付かされます。
パソコンから離れて
本に向かうのですが、
読み終わるとこのブログを書くために
再びパソコンに向かう。
これではいけません。

「絶望といい希望といっても
 たかが知れている
 うつろなることでは二つともに同じ
 そんなものに足をとられず
 淡々と生きて行け!」
 (ある一行)

悩んでいるときに再読したい一篇です。
絶望したときには
眼の前が真っ暗になります。
希望を持ったときは
眼の前が明るくなります。
しかしそれは
実体のないものに過ぎない。
そんな感情に惑わされず、
真実をしっかり見つめよ、と
お叱りをいただいている気になります。
そして「!」が強烈な一発として
心に響いてきます。

「もはや
 できあいの思想には

 倚りかかりたくない
 もはや
 いかなる権威にも

 倚りかかりたくない
 じぶんの耳目
 じぶんの二本足のみで立っていて
 なに不都合のことやある」

 (倚りかからず)
現代日本の社会では、
群れないで生きていくのは
難しいしリスクも生じます。
それでも自分を偽らずに
自分自身の考えと感性を大切にせよ。
そう気合いを入れられている気分です。

「このたび私…
 この世におさらばすることに
 なりました。
 …『あの人も逝ったか』と一瞬、
 たったの一瞬思い出して下されば
 それで十分でございます」

との潔い挨拶状を残して
茨木のり子がこの世を去ってから、
すでに10数年になるのが
信じられません。
この一冊を座右の書とし、
背筋をピンと伸ばして
生きて行くことにしましょう。

(2020.7.23)

Kari SheaによるPixabayからの画像

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